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熊本店

熊本店ブログ

120年目のめがね

2025-01-10
ブログNEW
鯖江で眼鏡作りが始まったのが1905年(明治38年)ですので、今年2025年は鯖江の眼鏡産業発祥120周年となります。
鯖江の眼鏡以外で1905年の主な出来事は日露戦争 ベルギーで万博開催、アインシュタインが特殊相対性理論発表、夏目漱石「吾輩は猫である」上梓などがあります。120年というと大昔のイメージですがロシアは2025年現在も戦時下ですし、今年は大阪で再び万博も開催されます。1970年の大阪万博のテーマは『人類の進歩と調和』でしたが、人類って100年やそこらじゃあまり進歩しないもんなんですかね〜
それに対してメガネにはこの120年でどのような進化があったのでしょう。写真はさばえめがね館熊本店で展示している大正時代の眼鏡枠ですが、現代の標準的なメガネと比べると大きく異なる部分が2か所ございます。ひとつは鼻に乗せる部分が一山式と言われるブリッジを鼻梁に直接乗せて装用する構造になっています。一山式はまつ毛がレンズに当たってしまったり、逆に離れ過ぎてしまったりと眼とレンズの間隔の調整をすることが困難でした。そこでノーズパッドが開発されメガネのずり落ちを防ぎ正しい位置に固定できるようになりました。
もうひとつが耳にかかるテンプルエンドの部分。剥き出しの金属が肌に直接当たっていたところにプラスチックのテンプルカバーがつくことで耳のまわりに優しくフィット感を高められるようになりました。テンプルカバーは先端部のセル(実際の素材はセルロイドではありませんがメガネ業界では慣例的にプラスチックをセルと呼ぶことが多いです)を略して先セルとも言われますが、他にモダンという名称で呼ばれることもあります。戦前の日本のメガネの写真を見ると写真のような金属の半掛けタイプか繩手や巻弦と言われるケーブルタイプなので、先セル(モダン)はおそらく戦後に広まったものと推測されますが、当時メガネ作りに従事した方々から“現代的なパーツ”という意味合いでモダンという名称が定着していったのではないかというのが当ブログ担当者Kの考察でございます。
現行のモデルでも一山&金属テンプルでクラシカル風を演出した商品もありますが、使用時の快適性が向上したという点ではやはりノーズパッドとテンプルカバーは進化の賜物と言えるのではないでしょうか。
余談ですがお好み焼きに焼きそばを足したモダン焼きのモダンもそこから来ているものだとずっと思っていましたが、モダン焼きの元祖とされる某有名お好み焼き店のホームページによると“盛りだくさん焼き”が変化してモダン焼きとなったそうです。嘘だとは言いませんが盛りだくさんが転じてモダンって少し無理がないかと思わなくもありません。現代のワードセンスだと「モリダク焼き」とかの名称になりそうですけどね。