熊本店
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レオナール藤田のめがね
2026-01-28
ブログ
明日1月29日はレオナール藤田の命日だそうです。レオナール藤田、日本名は藤田嗣治(つぐはる)。Wikipediaには日本生まれのフランスの画家・彫刻家とあります。“日本生まれのフランスの…”、と一瞬ん?と思う表現ですが、まさしくそういう人生を歩んだ方でした。幼少期を熊本で過ごした藤田は東京美術学校(現在の東京藝大)に入学するも、当時の画壇はフランスから帰国した黒田清輝のグループにより写実主義がもてはやされており、表面的な技法ばかりの授業に失望した藤田は1913年にパリに渡る。
当時はエコールドパリと呼ばれ、第1次大戦と第2次大戦前の戦間期に画家や写真家、作家など様々な国から芸術家が独自の表現を追求すためパリに集まっておりました。その中で藤田もパブロ・ピカソやジャン・コクトー、島崎藤村などと親交を結んだと言われています。
パリでは既にキュビズムやシュールレアリスムなどの新しい絵画が登場しており、日本での「黒田流の絵こそが洋画」だと教えられてきた藤田は著書で「家に帰って先ず黒田清輝先生ご指定の絵具箱を床に叩きつけました」と記していたりします。その後第1次大戦終戦後の好景気も追い風となり、一躍パリの寵児ともてはやされていた藤田の名声は急速に高まりました。その後複数回の結婚と離婚を繰り返し、第2次大戦勃発を機にパリを離れ日本に帰国し戦時中は陸軍の依頼により戦意高揚のための絵を描くも敗戦後はそれらの作品群により「戦争協力者」のレッテルをはられ、失意のうちに再度フランスに渡りフランス国籍を取得した後は日本の国籍を抹消するに至り、冒頭の日本生まれのフランスの画家となりました。
そんな藤田のメガネはフランスのレスカというブランドのものですが、驚くべきことに現在でも同じモデルが製造されています。




